南蛮貿易にともなってやってきた「梅毒」。その時代と医療事情
黒田官兵衛、加藤清正らの武将も感染【和食の科学史⑦】
■生を完成するために養生せよ
養生書といえば、あとで取り上げる貝原益軒の『養生訓』がよく知られていますが、その100年以上前に生きた道三も、86歳で生涯を閉じるまで、おもに武士に向けて多数の養生書をあらわしました。当時もさまざまな養生法が知られていたものの、極端なものや、根拠のはっきりしないものが少なくありませんでした。米の収穫量が増えて生活水準が全体的に上がり、食の選択肢が広がるなかで、何を、どう食べるべきか、人々に迷いが生じていたのです。現代と似た状況といえるかもしれません。
道三の答えは明解です。「粗食がいいという者もあれば、こってりしたものを食えという者もある。しかし、持って生まれた体質、生まれ育った土地の違いによっては、他人にとってなんでもないものが自分には毒になることがある。かたよらないようにするのが一番だ。好きだからといって、同じものを頻繁に食べるのもよくない」
ある人に、「中年を過ぎてから養生を心がけて、どんな得があるのか」と聞かれた道三の答えはこうです。
「良く死ぬためである。与えられた天寿をまっとうし、生を完成するために養生が必要なのだ」
深い思想を背景に、実際に効果のある医術を追求した道三の名は全国にとどろきました。茶の湯に造詣が深い文化人でもあったことから、将軍足利義輝、正親町天皇をはじめ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、毛利元就、細川晴元、三好長慶、松永久秀、明智光秀など、著名な武将に治療をほどこし、信頼と尊敬を集めたといわれています。
(連載第8回へつづく)